2017年11月26日日曜日

2017.11.12さいたま国際マラソン

いろんなことを諦めて
言い訳ばっかりうまくなり
自由はどんどん遠ざかる

夕刊フジを読みながら老いぼれていくのはごめんだ

真島の詩だ。

ケガしてたり、痛みがあったり、原因不明の不調だったり、練習できなかったり、いろいろあるけど、それは全て言い訳になる。
素直に受け入れると、どんな状況でもその日のコンディションは過去の自分が作ってきたものだから、何があろうもベストコンディションなはずなんだ。

さいたまはタイムも良くなかったし、後半落ちたし、中弛みもすごかったけど、それでも思い直したり、それじゃダメだ、しっかりやろうと自分に言い聞かせたり、それができただけでも十分良い経験になった。

いやーマラソン最高!

以下
自分のさいたま国際マラソン物語。
振り返りじゃなくその日のその人のストーリーが好きだ。

2017年11月12日
さいたま国際マラソン

側から見るとどんな光景なんだろう。
動物じゃあるまいし、群れと呼んでいいものなのかどうか。

一心不乱にただ前へ、前へと進んでいるようにみえる。
身体は思うように動かないのに、決して諦めることはしない。
興味のない人からみればウォーキングデッドのゾンビの集団のようにみえるかも知れない。ゾンビとの違いはただ一点だ。
目に諦めてない光が宿ってることだ。

この大会は女性の比率は高いけれど、諦めない気持ちは男性よりも強い人たちが大半を占めている。
寧ろ男性が女性の後ろにくっついて引っ張られているシーンをよくみかけた。

1番きつい時に1番きついアップダウンが待っている。
振り絞れる力もごく僅かしか残っていないのに、眼だけはしっかりと前を見据えている人たちばかりだ。

3時間15分をきるぐらいの女性たちは、見た目は女性らしい格好をしてる人もちらほらいる。ただ眼光は鋭くタフな人たちが多い。
まるで戦士のようだ。
勝負している相手は他者ではなく過去の自分だ。

タイムの良し悪しだけをみる人もいるけれど、マラソンというのはそれだけじゃない。
寧ろタイムは後からついてくるおまけのようなもので、そういう捉え方をしないと、タイムに固執してしまうと、時間というものは、自分の手からするりとすり抜けて逃げ去っていってしまう。

ただし目標というものは必要で、何かしっかりとしたものを持っていないと、諦めという感情に支配されてしまう距離でもある。

目に全ては宿る。
諦めてしまった人たちの目と諦めていない人たちの目は力が違う。
例え歩いていても前を向いてさえいれば次に繋がる。
そういう何か伝えにくいものを持っているのがマラソンで、それを知ると楽しみは倍増する。

抜きつ抜かれつ男性女性関係なく入り乱れていた稀な大会だった。
35キロ地点。
「楽しい〜♩」と叫びながら走り去っていった女性もいた。
こういう心境はノリに乗っているときにでてくる感情で羨ましかった。

走り始める前の感覚では、悔しいけれど3時間15分を切れればいい方だった。
感覚は適当とは若干異なる。

感覚の根拠は10日前の皇居15キロビルドアップだ。
23分36秒→21分45秒→19分11秒。
注目するのは2周目で、これはマラソンペースを感覚でこんな感じかって想像しながら走った。
調子良かった頃は20分30秒前後に勝手に上がる。
この時の感覚は適当だ。
サブ3は厳しいなというのがこの時の感想。
多分22分30秒ぐらいが今のマラソンペースかも知れないなと思ったりもした。

何も考えず始めの5キロを通過したタイムがある程度の適正なタイムの指標にしている。
この感覚が研ぎ澄まされれば研ぎすまされるほどマラソンランナーになっていく気がする。
今回は21分44秒。
奇しくも皇居とほぼ同じだ。
やはり上がらない。
閾値がずいぶんと下がってしまってる感じだ。

自分で自分をコントロールするのがマラソンならこの時、22分台に落とすのが賢いやり方だろう。
でもやっぱりここまで自分の力は落ちてるのかっていうのに抵抗したいという気持ちが湧いていたのか。

ただたぶんこの感覚は間違ってはいなかったと思う。
後半失速したけれど、オーバーペースではなかった。
寧ろ程よく感覚がまだあっていた。
きつくもなく周りとの兼ね合いをコントロールしながら走れるスピード。
やっぱり走り込みが圧倒的に足りなかった。
3時間を切るのは簡単になったとこの2年間思ってたけど、やっぱり違った。

6月の柴又以降月間100もいかなかった日々が続いていた。
しかも1.5キロと短い距離の積み重ねでの月間100ぐらいだから、まともに走れてるとは言えない。
大会からも遠ざかっていた。

今、その瞬間の最善を尽くす。
それを繰り返す。
それが自分のマラソンだ。
タイムとは関係ない。
ただその頑張りの積が大きければ大きいほど、タイムが向上することも知っている。
そしてその瞬間、瞬間、最善を尽くした経験がとてつもなく自分を興奮させる。

大会から離れてしまっているとその感覚がなくなってくるんだと改めて感じていた。
25〜36キロ地点までただ脚を動かすということで頑張ることから逃げていた。
たぶん精神的な疲れなんだと思うけど、集中していない、油断してる状態、ぼーとしてるというか。
しっかり自分に言い聞かせることができてなかった。

中弛みという表現がよくあってるのかも知れない。
フルマラソンは長い。
中弛みするのは多かれ少なかれ誰にでもある。

何故か今回は、この中弛みしているときは普段のジョグのスピードで妥協してしまう傾向にあるんじゃないかと感じた。
緩い練習ばかりしていたから、この中弛みもペースがキロ5近くまで落ち込んでいた。
要はこういう状態の時は、緩い練習に身体が依存してしまう気がした。

そして36キロ地点。
マラソンを始めて初めて36キロ地点であと6キロぐらいしかないのか、すぐじゃないかって思えることができていた。
これは面白い発想の転換で、今までは35キロ以降は長いって感じていた。

35キロ以降がマラソンの醍醐味で、きれいに纏めるよりも、泥臭く必死の形相で無理やりペースを刻み続ける。
きつい時だけど、無理やり身体を大きく動かす。
それを繰り返す。
そこにマラソンの醍醐味があるんだと再認識できた良い大会だった。
身体は死んでいない。
脳が嫌がってるのを制御する習慣を、戻すことも必要みたいだ。

モチベーションとは誰かに貰うことができるものなら、さいたま国際マラソンに出ていた女性ランナーの頑張りはものすごい刺激を受けた。
撃沈しないように走るのではなく、それを超えようとする積極的なアタックを何度もしている女性が多かったのが印象的だ。

完走後北与野駅前で側からみると大撃沈してたランナーが心配で待っていたら、少なくともその瞬間は誰よりも力強く、誰よりも苦しさに耐え、誰よりもスピードがあった。
そういう頑張りが自分を勇気づける。
北与野駅前では誰よりも気力溢れていた。

だから次は自分も。
自分と同じぐらいで走ってる人たちに刺激を与えられる、そんな走りができるようになりたい。

仕事の量は変わることはないし、増えることの方が多い。休みも週に1日しかない。平日は1時間練習してしまうと食べる時間も風呂に入る時間も寝る時間もなくなってしまう。
1時間を捻り出すのが難しい状況。
それでも変わることのないものを変えようとするよりも、自分でできることをコントロールするほうが遥かに大切。

それならば今季の目標はこの少ない時間でどうすれば元の状態に戻して、更に飛躍していけるか、それ一点にかかっている。

決して負けない力を僕は1つだけ持つ。
甲本ヒロトの歌詞が心に響く。
その力を徹底的に伸ばしていきたい。

2015年
さいたま国際マラソン2時間50分

2017年
さいたま国際マラソン3時間08分

人生良い時もあれば悪い時もある。
悪い時の方が多いってことは、少ない良いことはその分、最高の思い出になってくる。

来年はぐんまマラソンでる予定なので、再来年飛躍してさいたまに戻ってきたい。
賛否両論あるさいたまだけど、最高のコースなのは間違いない。

他に知り合いで2名女性で参加していた。
1人は安定のサブ3.5。
もう1人はサブ3.15を一気に達成してきた。
これはヤバイ。
負けるぞ、おれ!

さいたまとは全く関係ないけど、この日、知り合いが神宮24時間で2位に入っていた。
40代でもまだまだいける。





2017年4月26日水曜日

2017.4.23 チャレンジ富士五湖100k

第28回チャレンジ富士五湖4Lakeの部(100km)に参加してきました。
今年で2回目の参加になります。

タイムは10時間32分57秒でした。
100kmを走り始めて初めてのサブ10落ちです。

昨年のタイムが8時間07分37秒だと考えるとショックを受けそうなタイム差ですが、実際のところは負け惜しみとかではなく、トラブルを加味して、最優先事項の無理して故障しないレース対応をしっかりできたので、今年の富士五湖は今年の富士五湖としてベストなタイムだと思います。

71kmまで走り、29km徹底して歩きました。走りたい欲求、走れる感じも湧いてきましたが、頑固なまでに徒歩でした(笑)

トータルで10時間32分の有酸素運動になるので、富士五湖→柴又間の感覚の狭さ(42日)を考えれば、逆に柴又には良いチャンスが生まれたのではないかと前向きに捉えています。
そして9月の丹後へ続いて、100km3連戦になっていきます。

今回ほどいろいろ心の葛藤があった100kmはないのではないかと思います。
グループトライアルというものもやっていたので、チームにも迷惑がかかるのではないかとか、昨年のチームの誰かとまた切磋琢磨して走りたい気持ちとか(これは1番強かったです。)8時間にどれだけ迫れるかとか、かっこ悪いところは見せられないとか、このチームウエアでかっこ悪いところは見せられないという単純な気持ちも湧いてきました。

でも1番重要なのは、自分勝手なのかも知れませんが、どうしても自分の事でした。

足底筋膜炎はやっかいなもので、どうしてもなりたくないものの1つです。
その気持ちに過敏になってたのかも知れませんが、終わって振り返ってみると、その過敏さは大切だったと思います。

幕引きのタイミングはベストなタイミングでした。一昨年京都の丹後で相部屋になったOさんがぴったり後ろにいたからです。
後ろにいたのを確認したとき嬉しくて、ウルトラの醍醐味ってこういうところにあるんだなぁとつくづく感じながら走ってました。

Oさんとは丹後から翌年の富士五湖、そして今年の富士五湖と直接お会いしたのも少ないのですが、知ってる人に幕引きをして貰えるのは意外に良かったです。

握手を交わしてそれから本栖湖と精進湖の分かれ道まで走って、本栖湖の方にOさんが走るのを後ろから見送ってから少し走り、走るのを止めて残り30kmぐらいを歩くことにしました。

大抵の痛みは気のせいだったり、すぐになくなったり、時間が経つと忘れるものだったりしますが、今回はこのまま走り続けるとヤバイなと感じるものでした。

痛みには慣れてるのに、ヤバイなと思ったのは36km以上も同じ箇所が、激痛になっていたのも原因の1つでした。
痛みが逃げない。

左右の足底、左の膝、右の指が刺さってるような痛み。

足底はもう着地する度に痛い。
カスタムインソールのアーチの出っ張りの部分だけがものすごく痛い。
いっそインソールを捨ててしまおうかと思いましたが、安くもなかったので捨てきれず(笑)

改めて考えてみると、アーチを結構作っておきますねと言われたので、アーチを無理矢理作ったインソールだったのかも知れません。

これは個人的な印象ですけど、足底の張りなど硬くなっている場合、長い距離を走るとアーチが下がってくるのですが、その出っ張りとケンカしてしまう感じで、もし足底の柔軟性があれば十分武器になるのかも知れない気がします。

ただめちゃくちゃ痛い。
伝えることはできないのですが、重度の虫歯ぐらい痛いという感じでした。伝わらない(笑)

そして更に補足としてアーチが下がることで何かしら身体が負荷に耐えようとしてるなら、そのインソールのアーチが着地のブレを変えてしまい、膝がブレて痛くなるという弊害もある気がしました。

これは今まで全く痛くない膝の内側だけがピンポイントで痛くなっていて、丁度インソールの作られたアーチの上と言えば上ですし、いつもと違う何かに拒否反応をしてたんじゃないかという気もしてます。

レース後カスタムインソールから通常のインソールの靴で歩いていても膝が痛くなることはなく、足底も痛みは感じないので、ちょっとカスタムインソールは懲り懲りな感じになってしまいました。

そして指…
これは何だろう?という感じで俄かに信じられない痛みでした。
河口湖終わる頃に突然。
結論から言うと、爪の間にマメが出来ていてそれが割れた…ただそれだけなのですが、恐ろしく痛い。
爪が割れて刺さってるんじゃないかってくらい痛くて、着地する度に顔が歪むくらい痛い。

本当に小さいマメなのに恐ろしく痛い。
しかも今までそんな所に出来たこともないのに…。

原因があるとすれば5本指ソックスをうっかりしていて、小指と薬指を同じ4本目の薬指の袋に2本入れていて、小指の袋には何も入っていない状態だったとホテルに戻って知りました(笑)

これが原因か分からないですけど、確かに1本しか入らない袋には2本入っていて窮屈に見えました。
実際は全然気づかなかったくらいなんですけど…
加齢による呆けなのではという疑惑も…

そして今もこの指の痛みはものすごく痛い。
歩いたり、走ったりするのに指って本当に大事なんだとつくづく思いました。

チームメイトやラン友とすれ違うときも声をかけて貰ったり、立ち止まって話し込んだりした人たちもいて、すごく感謝してます。

元々どんな距離でもアップダウンがあろうが安定感だけはあったので、1番古くて長いラン友とかだと歩いてることにショックを隠せなかったと言われたりもして、これがマラソンなんだなぁと。

密かに追いつきたいと思っているランナーに抜かれたときは、俺だって歩きたいよって言われ、キツいのはどんなに速くても同じなんだなぁと。

ただその日のコンディションを把握して最大限の努力をするのがマラソンなら、今回の富士五湖も間違いなくベストなレースでした。

チームの代表に後ろから肩を叩かれて抜かれたとき励まされてる感じがして嬉しくて、ついつい付いて行こうかと思いましたが、なんとか自制。

90kmぐらいに来たときは、チームメイトにそろそろ抜かれるだろうと思ったり、まだ誰も来ないのかと思ったり、もしかしたら歩いても逃げ切れるんじゃないだろうかと思ったりして、早足になったりして、やっぱり走って戦いたいなと沁み沁みしたり。

ラストの坂を上りきって、下りに入ったときラスト1kmになってもチームのウエアが見えることもなく、逃げ切ったかなと思った矢先…

800m地点ぐらいで1人に抜かれ、600m地点ぐらいで2人目に抜かれ、ようやく来たかとすごく安心して嬉しかった。悔しいというよりはようやくきたか!という感慨のほうが強かったのは何ででしょう。

そりゃ30kmも歩いて誰の姿も見ることもないなんて寂しいし、でも逃げ切りたかったって想いもあったり、複雑でした。
ただ2人ともすごく楽しそうに走ってました。子供みたいに目がキラキラしていて、競争している感じでした。
あの感じは去年私も経験していて、競い合う競争というよりは、共に走るという共走という感じで、すごく羨ましかったです。
あの感覚で走るのはウルトラでしかできなくてもう一度経験していきたい。
1人じゃできないかけがえのない経験なんです。

ゴール直前。
100mぐらいかな。
自然と走ってしまって、でも痛い(笑)なんでラスト100mだけ走ったのかは今でもよく分からないです。

ゴールして思ったのは70kmまでの貯金はものすごく大切だったということで、しっかり計算してみると30kmを4時間50分かかったんだから、歩かずに死にそうになりながらも残り30kmを2時間30分で8時10分くらい、3時間かけた所で8時間40分、4時間で9時間40分切れるか切れないかぐらいなんだったんだなぁと。
もったいないようなでも必要な日だったと思います。

実はこの経験はしないといけないことで、これからは安心して撃沈できるんだなぁと。

諦めるよりは我慢したほうが早いし、
歩くよりは歩くよりほんの少し早いだけで残り30kmなら1時間は変わる気がします。
なんたって徒歩はキロ10ですから。

正々堂々と撃沈できて、諦めるよりは苦しさの中にいたほうが早く終わる。
苦しさの中に居続けることの大切さを実感できた富士五湖でした。
苦しいのは嬉しいことと同じなんだと。
多分楽をして良いことはないのは実社会も同じ気がします。

余談ですが道路の標識の見方が変わり、30kmって書いてても今までは走っていけるなぁぐらいの感覚が、徒歩圏なんだなぁと沁み沁みしてしまう自分を見つけられました。

あの日ずっと想いながら歩き続けたのは、メダルが欲しいのもありましたが、実は同じチームメイトで同じグループによくなるWさんと、都市伝説の異名をもつIさんが最後の最後に追いついてくれて、一緒にゴールテープを切ることを目標に、そのためには遅れてはダメだと言い聞かせながら歩いていたり。

ラスト2人にあのタイミング、あの距離で抜かれなければ、たぶんその2人のどちらかをゴール直前で待ってようと思ってもいたりして。

去年、今年と富士五湖はいろいろな想いがうまれたので、これからも最高のウルトラマラソンの1つになっていきそうです。

去年と同じタイムでも今年は入賞できたんだから、来年は去年の自分に挑戦したい。
他人とはではなく、対自分…これだけは忘れてはいけないんだよな。

出会いの柴又、こだわりの丹後、そして想い入れの富士五湖かなw


2017年3月7日火曜日

基本を極めてこそ

『ケガをしない練習』

日経新聞のコラム、スポートピアはいろいろランニングにも活かせるのでは?
という内容が多いので重宝します。

今回はスケートの鈴木明子さん。

ケガとは無縁の選手でした。

基本を極めてこその技術だそうで、現在短時間のトレーニングと若いうちにさっと結果を出して終わるという傾向にあるのを危惧してる内容です。

これはマラソンにもあてはまる気がして、高強度の練習が優位になっているのは同じなのではないか?
と感じました。

基本、土台があってこその技術=スピードなのは共感できるところで、その土台が圧倒的に強いとスピードが乗ったときにも強いという方程式が成り立つような気がしました。

何よりも1番大切なのは、ケガしないということで、マラソンの土台、基礎はやっぱりジョギングになると思うので、そこをしっかりやる期間を作る必要性は改めて感じます。

私なら1人なら430/kぐらいですけど、515〜545/kに落としても良さそうな気もします。

真似をするとジョギングでもジョギング内で変化をつけたほうが良さそうな感じでした。

一応サラリーマンなので、速い練習遅い練習別個に長時間時間は取れないので、やはり基本はBUなのかも知れません。
速いBUとゆっくりなBU。レースを意識したBU…
考えれば考えるほどアイデアも出てきます。

ペース走としてはBUの中間区間を長く取ったりすれば同じ効果も生まれそうですし、何よりマフェトン理論に近くなる気もします。

30kのロングも週1だとしても月に4回あるので、いろいろパターンも考えていけそうでした。路面も考える必要あり。

●基本は5kジョギング→20kマラソンペース前後→ラスト5k上げるに到達するのが良いらしいですけど、現実疲れ抜けないのとやる気の問題も…(^^;;

●10kジョギング→10kマラソンペースより遅め→10kマラソンペースかそれ以上がベースかな。

●土台メインなら20kジョギング→10kがんばるパターンも。

●ただケニア!を読むと45k走もあるので、ジョギング45もありかと。3ヶ月にいっぺんくらい?

スピード練習だと15BUと10ハイペースをたまに。

●15BUも緩く入って、中マラソンペース前後、ラスト一気に上げるパターン。
●2.5kアップ→10kハイペース→2.5kダウンだけど落としすぎない。
●マラソンペースから入る15BU。
などなど。

結果としての数値も追っていって、伸びる理由、伸びない理由も考える必要もあるのかも知れないですけど、基本入りは土台を作るペースでゆったりと。

基本皇居だと楽ですが、皇居は桜田門通過して一周すると4.86kぐらいで、桜田門回避して外回りだと4.96kぐらいになるので、外回りかな。
ガーミンを5kラップにするのが手っ取り早いけど。

〜スポートピア 鈴木明子 滑りの基本極めてこそ〜

2017年2月28日火曜日

吉田香織と目力

【逃げ水の向こうへ】

というコラムが1年間連載されていました。
たつのてつろうというノンフィクション作家です。
トレイルランニングにハマってるひとですね。

タイトルの意味は、アスファルトの向こうにゆらめく水は、追いかけても、追いかけても、捕まえることはできない。
まして、その向こうにいくことはかなわない。
レースにゴールはあるが、走る人生にフィニッシュラインはない。
だから、私たちは走り続けるのかもしれない。

という主旨のことで、このアスファルトの向こうにある水は幻覚です。
ロングトレイルをやっているときに、眠さや疲労やなんだか混ざり合って、幻覚がみえていることを話したときに、こういう話題になってつけた題というかテーマみたいです。

今回最終回だったのですが、2015年のさいたま国際マラソンの吉田香織さんのことが書いてありました。

これはすごく共感できて、マラソンランナーの心理状態は目に表れるというもの。

弱気になったり、心が折れたりすると、目が不安そうに揺れるそうです。

これはよくわかります。
諦めると目が死ぬんです。
どうでもよくなると目に力がなくなるんです。
私なんか100kのときとかフルのときとかしょっちゅう心がけ折れまくりでした。

でも折れれば折れるほど強くなるというか。

そしてヤル気のでてくる大会になると突然スイッチが入り、自分でも目つきが変わってるのがわかるようになりました。
私はこの目つきになると集中できてるって判断してるんですが、睨んでるかも知れないです 笑

以下最低限の抜粋です。

31kすぎ吉田選手はついていけない。目が不安そうに見開かれ、戸惑っているようだ。この段階で落ちたペースを戻すのは至難の業だ。追いつくのは無理だろう。

だが先ほどの不安そうな表情は消えていた。「彼女は諦めていない」。そんな期待をさせる躍動感のあるフォームを取り戻していた。

彼女のマラソン人生には紆余曲折があった。不運にも見舞われ、一時は走れない苦しみを味わった。実業団から身を引き、市民ランナーとして練習を積み重ね、やっとの思いで、この場に戻ってきたのだろう。

沿道や反対車線を走る市民ランナーかれ声援を受ける度に、「コクッ」と何度も頷く。どん底から這い上がってきたランナーだからこそ、声援に頷けるのだ。

その声援を受けて、心を切らす事が許せなかったのだと思う。失礼な言い方だが、雑草のようなたくましさは、勇気をあたえてくれる。

日本人1位で、そして全体では2位でゴールした吉田さんは、普通の穏やかな目に戻っていた。

これは文字にされて初めて気づいたことでした。
確かに目つきは変わると行動も変わる気がします。

楽しいから笑うのか
笑うから楽しいのか

という理屈と同じで、

心が折れていないランナーは、目が生きている
ならば、
目が生きていれば、心は折れない。

変な理屈かも知れませんが、逆もまた真なりという言葉もあるように、目の力を気にしてみても良い気がしました。

すごく良いコラムでした。
最終回だなんて…
もう一度図書館に行って、全コピーだな 笑

2017年2月26日日曜日

スピードの回復

【川内優輝インタビュー】

引き続き先日購入したランニング雑誌のもう1つの気になっていた特集。

ランニング本とか買うよりも実はこういう生のインタビューのほうが楽しいことが多い気がします。

ホッとした記事が1つ。
隠岐の島のウルトラを走ってるのは以前から知っていましたが、練習で100kなどの超ロングを取り入れてるのは、初耳でした。

この考え方はすごく共感持てて、ホッとしました。
超ロングを走る意味をしっかりと掴んでいて、参考にしてるのは、瀬古さんとか宗兄弟とかで、85kや135kは練習で走りこんでるのは当たり前の世代でした。

勿論弟がウルトラにのめり込んでいるのも刺激になっているようでした。

ただこの特集をみて、機があるというか、タイミングがあるという感じは受けました。
勝手な解釈なので、載ってる訳ではないですが。

元々川内選手はスピード練習をしないと言ってます。レースがスピード練習になってるのもあるんでしょうけど、基本的には週一の1kの疾走はかなり大事にしているようでした。

必ずペース走のあとに1kを全力プラス10秒程度の設定で、走っているそうです。
たかが週一ですが、これでも体はスピードを忘れないそうです。

そして大会前に600mを数本やるだけで、スピードが回復してくると言っていました。

スピードが回復するという考えは全然浮かびませんでした。
超ロングをやって持久力が優位になっていても、この習慣をやることでスピードが回復するそうです。

ひとによってやり方も違うと思いますけど、私にはすごく参考になりました。
叩くと調子が上がってくる傾向にあるので。

ウルトラやってスピードがつかないというよりは、持久力が優位になっていて、フルやハーフの季節になれば、それを回復させる術を自分なりに作っておく必要があるんだなぁと。

フルの季節に、ウルトラの季節、ウルトラの中でもフルに対応できる何かが必要で、それをないアタマで考えるのはすごく楽しくなってきます。

スタミナというもなのか筋持久力というものなのかこの区別がわかりかけそうな気も。

距離踏みながらラウンドして、刺激を与えるのが実戦的な気が…。
こういうの読むといろいろ考えが進んで、新しいアイデアや取り組みが増えていくから不思議です。

2017年2月25日土曜日

記録更新の最終カード!ペース走かビルドアップ走か

【ペース走かビルドアップ走か】

記録更新の最終カード。
あなたに合うのはどっち?

ペース走かビルドアップ走か

という見出しに惹かれて久しぶりにランニング雑誌を購入しました。

特に記録を狙ってるわけではないのですが、身体能力の向上を肌で感じるとやっぱり嬉しいもので、ランニングに対するヤル気も出てきます。

そして、走るという行為が日常になってきているので、練習法についても気になってくるものです。

ビルドアップ、ビルドアップとよく言われますが、ペース走、ペース走とはあまり言われていないような気がします。

どうしてもビルドアップのほうが優位な練習法という気がしてしまうのですが、実際はペース走から枝分かれしているのがビルドアップ走という認識のようです。

どちらも一長一短があり、固執して取り組んでも身体が負荷に慣れてしまって、身体能力の向上はなかなか見込めなくなるようです。

マラソンである以上一定のペースで押していくのが必要になるので、ペース走が土台になるべきものらしいです。

ペース走には様々なやり方があり、目的に応じて、取り入れるのが良さそうです。

1番の注意点は目標タイムからペースを決めるというはナンセンスだということらしいです。
3時間を、4時間を切らないといけないから、このペースでやるべき…というのはナンセンスなようです。

私は感覚でこのぐらいの走り方でいこうと決めてますが、これはボルグスケールというものを参考にしているからで、ペース走の考え方としてはこれは合っているようです。
大会もそうなのはどうなんでしょう。それは不明でした 笑

ただペース走ばかりやっているとペースの変化に対応できないという問題が出てくるようです。

これはすごくよく分かります。
ラストの切り替えが全くできなくなりました。

ペースの変化というのは、誰かと競争しようとか、あのランナーについていこうとかそういうのではなくて、アップダウンや折り返し、給水などでのペース変化のことを指しているようです。

思わぬ変化があると体力が削られるという理由なんでしょうけど、思っている以上に人間の身体は強い反面弱いとも感じるので、極微量な、1キロあたり2〜3秒でも身体は何かしらの変化をしていると考えたほうが良さそうです。

抑える強さを身につけるのもペース走みたいです。

フィジカル強化。
そういう意味合いが強いのが、ペース走よりビルドアップ走にあるようです。

ビルドアップで知らなかったことは以下のようなことでした。

私は基本的に皇居でしかやらないので、アップダウンがあります。これはビルドアップに不向きらしいです。
なので自然と…

①階段型
これになっているようです。5k毎に変化させる走り方。

1番効果があるのが
②直線型
らしいです。よく考えるとこれは難しく、滑らかであればあるほど効果が高いそうです。
例えば1000m毎に1秒上げるとか。

なのでビルドアップ走は平坦な所でやったほうが良いらしく、出来ればトラックらしいです。

そしてロングのビルドアップ走は
③中間ペースを長くするということらしいです。
マフェトン理論に似てます。
30kのロング走ならば、5kはゆっくり入って、20kはレースペースかそれより少し遅い感じ、ラスト5kは更に上げて終わる。

あとは変化走。
これはビルドアップ中に一旦ペースを下げる局面があり、また上げるという 走り方です。
下げるというのは実践的な感じはします。

ビルドアップ走の弱点は、そればかりやると大会の時にも自然とだんだんペースアップしてしまって、知らないうちにオーバーペースになっているということらしいです。

うーん。
分かりすぎるくらいわかる 笑

あとはペース走は一人ずつ設定が違うので、集団には向いてない走り方のようですが、ビルドアップ走は集団に向いているそうです。
理由は途中で遅れてもビルドアップになっているということと、今回何mまでついていけたから、次は何mと目標も決めやすいからだそうです。

なかなか奥が深いです。

私は1匹狼な所を好むので、ペース走重視で、たまにビルドアップ。
極たまに集団でビルドアップが良さそうです。

そして私の足りないと思う所は…

恐らく

スピード持久力。

この練習は全くと言って良いほどやってこなかったです。昔はたまにやってましたけど。

あとはスタミナなのか、筋持久力なのか、という所です。

スタミナと筋持久力を別にして考えてるようなのはなぜでしょう。

そうするとまずは、ミドルペース走が必要なようです。

これは12〜16kぐらいをややキツいペースで走るというもの。
それにロング走をオンしていく感じがメインの練習に。

そして月1か2ぐらいで、ハイペース走。これはマラソンを主眼におくと、インターバルより効果は高いそうです。
インターバルより長くて苦しいですけど 笑

LSDについても書いてありましたが、私のランニング習慣からはあまり必要そうではなく、やっぱりそれよりロング走っぽかったです。

ペース走にしろビルドアップ走にしろレースペースを経験している必要があるようで、私に1番足りないものでした。

レース後半で大腿がキツくなるのですが、ビルドアップ走を数回取り入れてみたら、同じような大腿のキツさを感じました。

やっぱりここら辺のビルドアップないし、ミドルのペース走が足りてないから、粘れない、上げられない、という感じなのかも知れません。

レースペースに慣れることで、筋持久力の強化ということでしょうか。
言い方変えると大腿の反復力アップの練習でしょうか。
やっぱりスタミナは別?

結論はやっぱり身体をブラすということになるようです。
短いのか長いのか速いのか遅いのか、さまざまです。
それを考えると、ビルドアップ走はオールインワン的な練習法で、お得度高いかなぁと。

気分は来季に照準合わせてます。
メリハリとリカバリーとフィジカルと仕事にプライペート。
やる事盛りだくさんの40代になって良かったー(T ^ T)

2017年2月24日金曜日

青梅下りの気持ち…私にはすごく大切な感情なのかも

ふと思い出したんですけど、青梅のコース。折り返し15kだと勘違いしてたんですけど、14.2kぐらいで折り返しだったんですね。
終わって3日ぐらいして気付きました。

気づいていない、知らないって、恐いなと同じように、強いなと感じました。←自分で言うな 笑

折り返しで1時間ちょっとオーバーしてました。ちょっとかかったなっていう感じでした。残り800mで15kなので、サブ3ペースでも3分程度。
折り返しの減速を考えて、3分で考えてみると、1時間3分前後ぐらいで15k地点に到着してます。

この時点で自分ではわかってないです。
おや?…とは思いましたけど、60分以内で帰ることに集中、集中って感じでした。

フィニッシュして1時間59分ってことは、帰りは56分でイーブンなんですね。
実際は1分あったので、55分で帰ってきてました。

15k走った後の、下り基調とは言え上りもある15k。
60分あると思ってたのと、下りはめちゃくちゃ得意なんだよっていう気持ちのほうが強かったです。

辛いとかキツいとかアタマを過っても、今の頑張りとは関係ない。
辛い、キツいからといって、今集中して頑張らない理由にはならない。
と完全に割り切っていました。

これはマイケル・チャンが錦織に最初に教え込んでいたもので、それを真似してるのですが、あれは確か『フォールトになるからといって、追いかけない理由にはならない』という感じのことでした。

理由はあって、そこで届かなくても追いかけることで相手にプレッシャーを与えているそうです。もっとギリギリを攻めないと、とか。

その小さな頑張りの集積が結果に繋がる…という主旨のことでした。

同じように考える努力をしてました。間に合わないからといって、今の一歩をいい加減に走る理由にはならないって…笑
アホですねーw

でもやってる時は至って真剣。
そのために周りの環境は全く気にしないで、その一歩だけに集中…という感じでした。
誰の参考にもなりませんが、私の参考にはなるようです。

ここら辺はすごく大切な感情だったんだと勝手に思ってます。

改めて、気持ちというか、意識というか、思考というか、精神的なものが自分に及ぼす影響って計り知れなくて、1番重要な気がするなぁ。

どうやったら速くあの人みたいに走れるかなんて説明できないけど、こういえ気持ちの持ち方は、変えられるし、真似できるから、こっち側の興味が相変わらず続いてます。

心理?なんですかね。
メンタル論…宗教っぽい?
オカルト?かも知れません 笑