【逃げ水の向こうへ】
というコラムが1年間連載されていました。
たつのてつろうというノンフィクション作家です。
トレイルランニングにハマってるひとですね。
タイトルの意味は、アスファルトの向こうにゆらめく水は、追いかけても、追いかけても、捕まえることはできない。
まして、その向こうにいくことはかなわない。
レースにゴールはあるが、走る人生にフィニッシュラインはない。
だから、私たちは走り続けるのかもしれない。
という主旨のことで、このアスファルトの向こうにある水は幻覚です。
ロングトレイルをやっているときに、眠さや疲労やなんだか混ざり合って、幻覚がみえていることを話したときに、こういう話題になってつけた題というかテーマみたいです。
今回最終回だったのですが、2015年のさいたま国際マラソンの吉田香織さんのことが書いてありました。
これはすごく共感できて、マラソンランナーの心理状態は目に表れるというもの。
弱気になったり、心が折れたりすると、目が不安そうに揺れるそうです。
これはよくわかります。
諦めると目が死ぬんです。
どうでもよくなると目に力がなくなるんです。
私なんか100kのときとかフルのときとかしょっちゅう心がけ折れまくりでした。
でも折れれば折れるほど強くなるというか。
そしてヤル気のでてくる大会になると突然スイッチが入り、自分でも目つきが変わってるのがわかるようになりました。
私はこの目つきになると集中できてるって判断してるんですが、睨んでるかも知れないです 笑
以下最低限の抜粋です。
31kすぎ吉田選手はついていけない。目が不安そうに見開かれ、戸惑っているようだ。この段階で落ちたペースを戻すのは至難の業だ。追いつくのは無理だろう。
だが先ほどの不安そうな表情は消えていた。「彼女は諦めていない」。そんな期待をさせる躍動感のあるフォームを取り戻していた。
彼女のマラソン人生には紆余曲折があった。不運にも見舞われ、一時は走れない苦しみを味わった。実業団から身を引き、市民ランナーとして練習を積み重ね、やっとの思いで、この場に戻ってきたのだろう。
沿道や反対車線を走る市民ランナーかれ声援を受ける度に、「コクッ」と何度も頷く。どん底から這い上がってきたランナーだからこそ、声援に頷けるのだ。
その声援を受けて、心を切らす事が許せなかったのだと思う。失礼な言い方だが、雑草のようなたくましさは、勇気をあたえてくれる。
日本人1位で、そして全体では2位でゴールした吉田さんは、普通の穏やかな目に戻っていた。
これは文字にされて初めて気づいたことでした。
確かに目つきは変わると行動も変わる気がします。
楽しいから笑うのか
笑うから楽しいのか
という理屈と同じで、
心が折れていないランナーは、目が生きている
ならば、
目が生きていれば、心は折れない。
変な理屈かも知れませんが、逆もまた真なりという言葉もあるように、目の力を気にしてみても良い気がしました。
すごく良いコラムでした。
最終回だなんて…
もう一度図書館に行って、全コピーだな 笑
0 件のコメント:
コメントを投稿